摂食障害から抜け出す!人と比べる人生は終わりにしませんか?

脱!摂食障害カウンセラーの三上さくらです。

この記事は、

・人と比べることに疲れてしまった方
・比べても意味がないのに、どうしても比べてしまう方

に対して、「頭では分かっているのに、どうして比べてしまうの?」という疑問から、どうやったら「比べる人生」を手放すことができるのか?ということをお伝えしていきます。

私の場合、人と比べる人生に気付いて、それを手放す方法を実践して、だんだんと摂食障害が改善していきました。

今、摂食障害の闇の中で彷徨っている人のヒントになりますように。

はじめに

私は、自然に人と比べる癖がありました。

それに気が付いたのは、電車の中で生きた心地がしなくなって。周りはみんな敵だ!!と思い込んで。こちらが少しでも油断したら、きっと負けてしまう!という妄想に取り憑かれて。

不安神経症鬱病になってしまったからです。

 

ずっと虚勢を張って生きていたので、とても疲れました。だんだんと他人の目が怖くなりました。街を歩いている人すら怖くてたまらない。私は部屋から出られなくなりました。外出していないのに、他の人に何か言われているのではないか?ということに恐れ、毎日「怖い怖い」と呟いていました。

この状態が続けば続くほど、摂食障害が悪化していきました。

 

今になって思えば、精神的に立ち直ることが摂食障害克服の近道だと思います。なぜ、怖くなってしまったのか?それは、子供の頃の記憶が深く関わっていたのです。

子供の頃から

現代日本において「比べる」ことは当たり前。生まれた時から「比べられる」人生がスタートします。

幼稚園の頃から「背の順」や「名前順」があって、「順番」という概念ができました。人と関わっていく上で、順番は大切です。割り込みをしない、早く来た人から順番に。というのは人間社会では守って当たり前の感覚です。

しかし、運動会で一等賞を取ることは名誉なことだ!と「順位」という概念が出てきました。どんな世界でもランキングはあると思いますが、何が基準となった順位か?という部分を認識しないと、ただ漠然と順位は低いより高いほうが良い!という感覚になってしまいます。

小学生になって、テストがはじまったり、徒競走のタイムを計ったり、運動能力テストもある。100点が素晴らしいこと、50メートル走で10秒切ることが凄いこと、基礎体力・身体能力が高い方が何となく優越感があること。子供ながら、これらのことに気が付きだします。ひとりひとり才能は違うのに、誰かが決めた基準で物事を判断する癖が付いていくのだと思います。

小学生の頃に中学受験をする人は、この時期から試験や偏差値を意識していたし、全国模試の順位が物凄く大切なものだったり。まるで今後の人生が全て変わってしまうような「最重要事項」のように扱われていました。

中学生になると、中間試験・期末試験の順位が廊下に貼り出されたり、部活動で成績を残すと、賞状やトロフィーが渡されたり、垂れ幕が飾られたりします。これはとても名誉なことで誇らしい気持ちになるのですが、一方で、みんながみんな得られることでもありません。誰かが決めた基準で選ばれただけなのですが、当時はそれが全てのように錯覚しています。

そして、おそらく多くの方がこのタイミングで「高校の受験戦争」というものに巻き込まれます。

なぜ戦争なのか?
そもそも勝ち負けなのか?
誰かを蹴落として、自分だけでも合格する!
合格した人は勝者で、合格しない人は敗者。

というニュアンスに聞こえます。

高校というより、偏差値で選ぶ。私立に行きたい人(行ける人)は、もっと選択肢があるかもしれませんが、公立を目指すなら「行きたい」よりも「行ける」ところを探したのではないでしょうか。

誰が決めたか分からない水準を目指し、必死に合格することを目指す。これからの人生をどうするか?自分はどうなりたいか?よりも、進学することが大切!という価値観を押し付けられます。その価値観の中で生きていける人間だけが、普通であり、その中で生きること以外の選択肢はないのかもしれない…と不安になります。

そして、大学受験も同じですよね。

 

 

さて、このような目には見えない仕組みがある。(それに気が付くのは大人になってからなのですが。両親や先生は教えてくれませんからね。当時、本をたくさん読んだり、ニュースを見ていれば分かったのかな?いや、無理だろうな…)

摂食障害になる方の共通点は、実はこの仕組みの中でそこそこ上手くやっていた人が多いのです。そこそこというか、かなり優秀。基本いい子ちゃんなので、勉強も運動も頑張っているんです。

そこそこ優秀だったから

摂食障害になる方は、適応能力が高くて頭がいいので、おそらくどんな仕組みの社会でも生きていけると思います。たまたま日本だっただけ。たまたま昭和や平成だっただけ。

で、この仕組みの中でどんどん自分を開花させていたと思います。私もそうでした。

 

そして、ちょっとショッキングなことをお話しすると…

そこそこ優秀ということは、
優秀でない人を心の中で馬鹿にしています。
頑張っていない人を見下しています。
自分は特別だという優越感に浸っています。

あああ、耳が痛い(笑)

 

自分のイメージしている優秀とは、どの分野で?どのようなことで?どんな基準で?というポイントが、全て自分基準です。

人はみんな、何かしら優秀な部分があります。それを自分の考えているポイントだけでランキングしているから、優劣が生まれます。

頑張りも同じです。頑張ってるレベルは人それぞれ。

ある人は徹夜して仕事や勉強をすることが素晴らしい!と絶賛するけど、パフォーマンスを高めるために睡眠は大事だ!という人もいる。残業しているのは頑張ってるから!というタイプもいれば、時間内に仕事を終わらせることがベストだ!という人もいる。

どれがいいか悪いかではなく、自分は何を選択するか?ということが大切なんです。その選択は自分基準のベストであり、他の人には適応しないということ。というか、人それぞれ。自分だけが特別なのではなく、人はみんな個々に特別なんです。

 

この事実を知ると、いい子ちゃんの私はこう思います。

あああ、自分勝手に優劣を決めていたなんて!!!
人類皆平等なのに、他の人を見下していたなんて!!!
こんな最低なことを考えているなんてダメだ!!!
私って最悪じゃん!!!
と焦ります。内心パニック状態です。

が、こんな最悪な自分が他人にバレたくないので、表向きは何事もなかったかのように過ごしています。

そこそこ優秀な私は、この本音を隠しながら生きることができてしまいます。とても器用だからです。そして、そんな自分を隠すために、より万人受けする人格者を目指して生きようとします。オールマイティーな完璧主義者になろうと努力します。

で、どんどん辛くなっていきます。

転落人生

より万人受けする人格者
オールマイティーな完璧主義者

でなければならない。というマイルールが加わり、しばらくは頑張って演じています。今まで以上に緊張状態で、気合を入れて生き抜いているのですが…

どこかのタイミングで

・「なんか疲れちゃったな、何でこんなに頑張ってるんだろう」という虚無感に襲われたり、

・どこかの段階で「小さなミス」をしてしまい、そんな自分が許せない!と落ち込んだり、

・ある日突然、自分の容姿が気になったり、自分の存在が恥ずかしくなったり、
(思春期あるあるですね)

こんな感じになって、一度でもレールを踏み外すと、途端にボロボロになります。

なぜ、そこまでボロボロになるかというと「より万人受けする人格者」で「オールマイティーな完璧主義者」にはあり得ない汚点だからです。一点のシミも許せない。この時点ですでに白黒思考になっています。

だから、今までの優秀な人生から転落していく気分を味わいます。周りから見れば、どこが汚点なのか理解できないと思いますが、とっても真面目なタイプなので、他人を騙せても自分を偽ることはできません。

そこから摂食障害予備軍になる、もしくは摂食障害の症状が悪化していきます。

運命の分かれ道

今までそこそこ優秀な人生だったから、

・今の自分は偽善者のような気がする
・人格者を演じていることが疲れた
・完璧になりきれないもどかしさがある

という本心を抱えながら、

・見た目も完璧になりたい
・誰が見ても羨む容姿になりたい
・外見も内面も素晴らしい人間になりたい

と思うようになります。

 

でも現実は違う。

 

ここを「妥協」というか、現実とのギャップを考慮して乗り越えられる人と、一切の妥協は認めず自分を責めてしまう人で分かれます。

摂食障害になる方は100%自責派です。

理想と違う自分が許せないのです。他人から見たら「え!そんな重要なことなの?」と思うようなことでも、固定概念(マイルール)があるので。

そこそこ優秀に生きてきたから、今までの自分に対して信頼度も高い。だから今まで創り上げられたマイルールを守れていない自分を責める。マイルールに近づくための努力をする。ここでルールを見直すという選択肢は考えません。

なぜなら完璧主義だから。一度創り上げたものを見直すことはタブーなのです。

次の分岐点

一切の妥協は認めない!
マイルールも変えない!

という状況で、やっぱり「ギャップを埋められない」という現実がやってきます。すぐに達成できる目標を設定する人や、細かい短期目標を掲げる人は、摂食障害になりません。

さらに、一点のシミを隠すための偽装工作もやり始めます。

例えば、

・オンとオフを完全に切り離して、オフの時は何をやってもいい特別ルールが発動したり、
・スタイルをよくするために、食べたものを吐き出すリセットルールが追加されたり、
・外では頑張っているから、自宅は汚部屋でも仕方ない!と掃除しない言い訳をしたり、
・八方美人だけど、家族やパートナーに対しては怒りや不満を当たり散らしたり、

あちゃーーー

これは全て私です。

 

汚点と見るかどうかは別にして、おそらくあなた基準での汚点がない人はいません。

 

しかしながら、自分に対しては全てが許せないタイプなので、①ミスを犯さないように生きる道を選びます。

もしくは、②汚点に対する後悔と反省だけする道になりがちです。そこから何かを得ようとするのではなく、その失敗をしなければよかった。どうして、そんなミスを犯してしまったのか?もう私はダメだ…タイムマシンに乗って、時間を取り戻したい!が、そこそこ頭がいいリアリストなので、そんなのは無理だ…ということも分かっている。だからグルグル悩み続けます。

 

私もそうでしたし、私のクライアントさんも例外なく、同じようなことを考えています。

抜け出すために

摂食障害から抜け出すためには、自分の中の固定概念を創り出した過去の経験と記憶を見直すことが大切です。

なぜなら、今の現実を創っているのは、今までの自分が選択してきたことだから。

①ミスを犯さないように生きる道を選ぶ人

今までの自分の人生で、やっちまった!!と思うことはありませんか?

私は、小さなやっちまった!!がたくさんあったので、毎日が反省会でした。それが恥ずかしくて、必死に脳内変換させていました。仕方なかったと言い訳を考えたり、現実逃避してみたり。でもやっぱり自分を責めてしまう。

このままだと何度も何度も思い出します。普段の生活の中で、どんなに忘れたと思っていても、ふとした瞬間に思い出すのです。素敵なことよりも、嫌なことのほうが思い出しませんか?そして、せっかく楽しい気分だったのに、あんなことがあったな…と楽しめなくなってしまう。感情がネガティブに流れてしまう。

毎日こんなことの繰り返しでした。このままでは一生ネガティブだと思ったので、なんとか切り替える方法を探しました。本を読んだり、セミナーに参加したり。その中で一番効果があったのが、次のステップです。

 

ステップ1:小さなやっちまった!!をノートに書き出してみる。

ステップ2:そのミスをしたのが友達だったら、何て声をかけるか?ということを赤ペンで書いてみる。
(きっとね、「そのくらい大丈夫だよ!気にし過ぎだよ!別にいいじゃん!」と励ますと思いますよ〜)

ステップ3:赤ペンのセリフを自分に対して言ってあげる。

この3ステップを繰り返す。

 

私は、このステップで随分と心が楽になりました。やるかやらないかは本人次第なのですが、ついつい白黒思考になってしまうのが摂食障害思考。ちょっと試してみる!というグレーゾーンでやってみてください。

摂食障害習慣が固定化すると、そちらが本筋のような気がして、他の行動が怖くなります。でも、本当の人生は違います。摂食障害は人生の中の道草くらいです。だから本筋に戻ってほしいのですが、戻ろうとしてもなかなか戻れない。ここが摂食障害の恐ろしいところ。戻ろうと努力して頑張っても、なかなか抜け出せません。だからね、失敗が怖くなって摂食障害行動(現状維持)をしているのです。

このことに気付いてください。

失敗が怖い。治そうとしても挫折ばかり。だから慣れた習慣に戻ってしまう。そこから抜け出すためには、自分を励ましてあげることが大切なんです。だから友達にかけてあげる言葉を思い出してください。

 

 

②汚点に対する後悔と反省だけする道を選ぶ人

当時は、ぐるぐる同じことばかり悩んでいました。負のスパイラルにハマっていることは分かっている。分かっているのに変わらない自分が許せない。

摂食障害中は、とにかく何をやっても許せないんです。もともと自分に厳しい人間だし、今まで頑張ってきたから、パワー全開100%以外は知らないんです。100%以下にしたらダメだ…と漠然と思っている状態。

いつでもどこでもマックスパワーだから、とても疲れる。疲れると適度に休むというよりも、とことん落ちていく。差が激しい。底辺に行けば、いつか戻ってくるだろう、と考えないようにしていたら、いつまで経っても底にたどり着かない。

沼。

ぐるぐる同じところを回っているようで、実はゆっくり沈んでいます。だから抜け出せないと気付くのが遅れる。その事実に気付いて、また自分を責める。

私がこの状態になった時の切り替え方法は3つ。

①紙に書き出す

永遠に書き続けることになるので、手が痛くなったらストップします。そして、ぐるぐるって面倒くさい!となります。ぐるぐるしている時間がもったいない!と思えばしめたもんです。

②大声を出す

ジェットコースターに乗って叫ぶ、お化け屋敷で騒ぐ。お手軽にするならカラオケボックスです。歌詞を歌うのではなく「ああああああああああ」とか「ぎゃあああああああああ」とか、意味を持たない言葉を出すことがオススメです。

特に過食嘔吐している場合、何か吐き出したいんです。それが固形物じゃないほうが身体が楽なので。

③思いっきり過食する

普段から我慢しているからやりたいので、やりたいことを先取りでやっちゃいます。私はホテルのビュッフェで思う存分食べたり、某ラーメン屋さんで「ましまし」とか食べていました。もちろん吐きます。

ここでの大きな違いは、今までの過食嘔吐は習慣だけど、今回は「私が選んで過食した!」という気持ちです。

摂食障害は、食に振り回されている状態。食のコントロールができることが目標なので、本当に食べたいと思ったものを過食した!という既成事実を創ります。すると「あれ?本当に過食したかったのかな?」という感覚が芽生えます。

この感覚をスルーしないでください!!!

そして、小さい感覚だからと残念がらない!!!

0か100で考えると、0.1くらいの感覚なので、白黒思考の人はだいたい無視します。

 

ここが抜け出せないです。

摂食障害歴数年なら、もう摂食障害のプロです。罠に注意してください。

 

もう一度お伝えしますが、我慢しているからやりたいだけ。我慢しているのは、今までいい子ちゃんだったから。

我慢しなければならない現実は、自分が創り出しています。

もし、ホテルのビュッフェもラーメンも、全て人が太るなら繁盛しません。マイルールで決めつけないでください。毎日食べるわけでもありません。食べるか食べないかの白黒思考にならないでください。

 

さいごに

私はプロのダンサーだったので、勝ち負けにこだわる人間でした。私生活でも常に勝たないと!負けたら生きてる意味がない!と闘っていました。勝ち負けということは、負ける人間がいる。勝負の世界が悪いのではなく、私は、そこにこだわっていると疲れるな〜と思いました。

みんな違う人生なのに、誰が決めたか分からない基準で比べたり、自分の中の絶対基準で比べたり。たとえ優越感に浸っても、それは一瞬だけ。周りは比較対象だから、安心できない。誰も信じられない。とても悪循環でした。

みんな違って、みんないい。

このことを心の底から感じた時、本当の安らぎが来るのだと思います。まずは、自分がどれだけ比べて生きているか知る。そして、これからも比べる人生を歩むのかどうか?考えてみてください。私は、比べることをやめたら怖いものが激減しました。

 

いろんなものを「比較分析」できることは、とても素晴らしいことだと思います。

世の中に溢れている商品の中で、よりお得なモノを選んだり、より好きなモノを選ぶ自由がある。このような「比較」は、自分が主語なので構いません。でも、無防備に「食」に支配されている摂食障害は、自分が主語ではありませんよね。

自分の人生は、自分が主人公です。他の人は脇役やエキストラ。

 

・人と比べることに疲れてしまった方へ

自分の中の固定概念を創り出した過去の経験と記憶を見直してみてください。

 

・比べても意味がないのに、どうしても比べてしまう方

自動的に比べていることに気付いてください。そして、どの分野で、どのようなことで、どんな基準で比べているのか言語化してみてください。

摂食障害になる方は、例外なく人と比べています。細くて綺麗な人と漠然と比べています。その一人一人とどのように比べているのか?性格は?内面は?プライベートは?ライフスタイルは?まさか見た目だけですか??

とことん比較分析してみてください。納得するか、飽きるまで。

そして、最後にこの質問。

 

「これからも比べるかどうするか?」

 

もし比べる人生を選択するなら、もうブーブー言わずに受け入れてください。

もし比べる人生を手放すなら、自分が主人公のシナリオを書き直してください。

 

 

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