
脱!摂食障害カウンセラーの三上さくらです。
摂食障害のスタートは、過酷なダイエットでした。
「ダイエットは明日から〜」と言って、甘いお菓子を食べる友人を心の中で見下していたし、「運動しないで痩せたい!」「食事制限しないで痩せたい!」という周囲の人を頭の中で罵倒していました。
私はストイックな人間だったと思います。だからこそ、摂食障害克服に時間がかかってしまったのかもしれない。もしあの頃、自分を許すことができたら摂食障害にはならなかったのかも…今ではそう思っています。
この記事では、摂食障害になってから気付いた自分の思考について、こんなふうに考え方を変えたら改善できたよ〜というパターンをお伝えします。
はじめに
あなたはどんな性格ですか?
こちらの記事で、摂食障害になりやすい性格かどうかチェックしてみてください。
チェックが多ければ多いほど、私と似ているということ。大丈夫です!私は治りましたから!
ストイックとは
摂食障害になる方の多くがストイックな方だと思います。
ストイックとは悪いことではありません。自分に対して厳しい方は、責任感が強くて、頑張り屋さんばかり。
ただし、
どの部分がストイックなのか?
どのようにストイックなのか?
ということが摂食障害克服と関係があると思っています。
「ストイックとは◯◯である」
どんなイメージでしょうか?
私の場合、
・かっこいい
・出来る女っぽい
・しっかりしている
・意志が強い
など、プラスのイメージしかありませんでした。
あえてネガティブな言葉を入れるとしたら…
・他人への評価が厳しい
・頑固
・固定概念が強い
・白黒思考
・完璧主義
という感じです。
思考の深掘り
・かっこいい
・出来る女っぽい
・しっかりしている
・意志が強い
と思っているから、ストイックな人間に憧れてるんだね〜あと、ひとりでも多くの方から認めてほしいんだよね〜完璧じゃないと認められないと、思っていた自分に気が付きました。
次に、ネガティブなイメージの深掘りをやってみます。
・他人への評価が厳しい
自分に厳しいから、他人に厳しいのは当たり前!怠けるな!もっと頑張れ!と自分では叱咤激励しているつもりでしたが。この思考を紐解くと、頑張っていない人を心の中で見下していることになります。
もっと頑張れるだろ!もっとやれ!ちゃんとやれ!というのが本音なんです。
脳は主語が分からないので、他人を見下している思考が強いと自分も見下していることになります。だから「こんな自分じゃダメだ!もっと!もっと!」と摂食障害思考が悪化することがあります。
当時、「今のままでもいいよね〜今より成長したら素敵だよね〜」と思っていたら、15年間も摂食障害人生を歩まなかったと思います。
・頑固
良くも悪くも頑固者のイメージです。
頑固親父というと、先入観があって柔軟性がない。これって、変化に弱い人間かな〜と思います。一度決めたことを守り続ける強さと引き換えに、新しい考えを取り込めない。マイルールがたくさんある摂食障害者にとって、非常に良くないことでした。
マイルールとは、
・炭水化物を摂取してはいけない
・豆腐は食べてもいい
・サラダのドレッシングはノンオイル
・飲み物はカロリーゼロだけ
など、食に関するルールや、
・食べたら一時間のジョギング
・食べ過ぎた後の食事は欠食する
・半身浴で2時間以上入らなければいけない
など、食以外のルールもあるはずです。
これらのルールって、好きでやっているのであればいいのですが。強制的になってしまうと、やらない自分を許せなくなってしまいます。
「ルールを守る」のは悪くないと思いますが、そのルール自体を見直すことも必要だと思います。
・固定概念が強い
自分がこうだ!!!と決めたら、なかなか変えられないイメージがあります。
頑固と同じですが、自分の中で作られたルールから抜け出すことは、弱いことだと思ってしまいます。そのルールって摂食障害を引き起こしている「摂食障害思考」が決めたことがほとんどなんです。
摂食障害思考って、自分を幸せにするかどうか?という点で考えられていません。
痩せるため、細くなるために必要だと思ったことがポイントになっています。そのため「摂食障害が治ってしまうと太るかもしれない…」と不安になります。だから治りにくくなってしまうのです。
自分の中にある固定概念を見つめ直してみてください。その時の判断基準は、自分が幸せになれるかどうか?だけです。
・白黒思考
勝つか負けるか、やるかやらないか、こんなふうに白黒思考で物事を捉える方が非常に多いです。
特に過食嘔吐の場合、食べるか食べないか、食べたか吐くか、の二択になっている方ばかり。自分にとっての適量以外は認めない!という思考が強くあります。昔の私もそうでした。
いつもいつも理想の食事って、普通の人でも難しいのに。全てが自分の思い通りにならなければダメ!という傾向にあります。禁止する思考って、とても強く潜在意識に残ります。
「こんな時もあるよね〜次はこんな食事がいいよね〜」とゆるく考えてください。
・完璧主義
完璧であることは素晴らしいことだ!全てが完璧な人間になりたい!と、ずっと思っていました。
「完璧とは◯◯である」
どんなイメージでしょうか?みんな思考が違うので、あなたにとっての完璧は他人の思い描いている完璧とは違います。
あなたは、あなたの創り出した完璧像になるために、必死になっているはずです。
さて、完璧になったらどうなりますか?
完璧のゴールって存在していますか?
常に上を目指しているのは、向上心があっていいことかもしれません。しかしながら、もっともっと!と理想の完璧像を追い求めている人生は、いつまで経っても本当の幸せには到達できないのです。
自分の中の完璧を目指すことが、あなたを苦しめることになっていませんか?
このように歪んだ思考が蓄積すると、自分が望んでいない方向にストイックなエネルギーを向けてしまうのです。
自分を認める
今のあなたは、あなたの求める完璧ではないと思われます。摂食障害である事実は、おそらく完璧な状態ではないからです。
今の自分はダメだと思っていませんか?
摂食障害を克服したら完璧だと思っていませんか?
「完璧ではない」「今のままではダメだ」という思考は、今のままではダメな現実を創り出してしまいます。
まずは、今の自分を認めてください。
・ダメなところもある
・普通の食事ができない
・理想のスタイルではない
・理想の体重ではない
・食に振り回されている
・時間もお金も無駄にしている
そんな自分も私の一部なんだ。今の私は、これまでの自分の思考が創り出してきたんだ。どんなに嫌なことがあっても、それは私の潜在意識に溜まっている思考が出てきたんだ。
心からそう思えた時、現実が変わるチャンスがやってきます。
チャンスを掴む
摂食障害の多くの人が、今の自分に対して「こんな私なんて…」と自分を責めてしまいます。
私も、自分を追い詰めていた一人です。
だって、私ってこんなに酷いんです。
こんなに愚かな行動がやめられないんです。
時間もお金も無駄にしている自分が許せません。
こんなふうに、常に自分を罵倒して生きてきました。
さて、問題です。
この思考が蓄積すると、どんな現実が現れると思いますか?
思考の仕組み的に解釈すると、
酷い自分、愚かな行為を続ける自分、時間もお金も無駄にする自分が現れます。
こんなことを繰り返すばかりの現実って、あなたにとって幸せでしょうか?
ここでチャンスを掴むなら、
「こんなことばかり考えた!!そりゃ、摂食障害にだってなるよね〜これからは自分を責めないで、幸せになるぞ〜」
と決めてしまえばいいのです。
途中で諦めない
一度決めたことを守り続けるパワーがあるのに、良いことに関しては続かない…と思っている方が多々いらっしゃいます。
「これからは自分を責めないで、幸せになるぞ〜」という思考が蓄積したら、どんどん幸せな現実が訪れます。素敵なことですよね〜
ただ、ある程度の思考が蓄積しなければ現実化はしません。
そこが思考の落とし穴でもあり、面白い部分でもあります。
今、このブログを読んで「よし!これからは自分を責めないで、幸せになるぞ〜」と思ったとしても、一時間後も二時間後も明日も明後日も一週間後も一ヶ月後も一年後も、毎日毎日「幸せになるぞ〜」と思っていないと思考は蓄積しません。
それなのに「やっぱり現実が変わらない…」と短期間で諦めてしまう。
「痩せたい!細くなりたい!」って年がら年中考えてましたよね?
その痩せたい思考が蓄積した結果が摂食障害です。痩せたい思考に対して、幸せになる思考は、まだまだまだまだ足りてないのです。だからすぐに諦めないでください!最低でも二週間は「幸せになるぞ〜」と思い続けてください。
さいごに
摂食障害が治ること=肥満になる
もう二度とダイエットはできない
と勘違いしている方が多いのですが、そんなことはありません!
今の私は「身体が重いなぁ〜」と感じたら、食事内容を見直したり、一駅前で降りて歩いたり、お酒を控えたりします。
「ダイエットをはじめて、また摂食障害になったらどうしよう…」と思ったこともありますが、「また摂食障害になる」と思っていると現実もそうなってしまう、ということを知っているのでそんなことは考えません。時間の無駄です(笑)
そんな考えが出てきた時は「今の私は、悩みたいんだな〜」と認めています。
認めてから「でもさ、摂食障害って大変だよね〜もっと他のことに時間もお金も使おう!」と自分の思考を軌道修正しています。
この繰り返しによって、私は克服することができました。
はじめは面倒だと思うかもしれませんが、摂食障害以外のことも解決できる一番シンプルな方法だと思っています。
最終目標は、あなたが幸せになることです。