摂食障害克服の道のりを8段階にしてみました。

脱!摂食障害カウンセラー 三上さくらです。

私は15年間、摂食障害(主に過食嘔吐)に苦しみ、両親にも言えず、友達にも言えず、病院にも行けず、悶々と葛藤の日々を送っておりました。

克服して3年。過去を振り返ると、「なんて愚かなことをしていたのだろう…」と絶望的な気持ちになります。しかしながら同時に、どんな道を歩んできたのか冷静に分析することができました。

摂食障害を克服した道のりは長い長いクネクネ道でした。アップダウンも激しいです。

当時の私は、今がどのような状態で、次はどのような状態になるのか想像もつきませんでした。全体の道のりが分からなくて、本当にゴールはあるのだろうか?いったい何がゴールなのだろうか?と不安で仕方がありませんでした。

そこで私が歩んだ全体の道のりを8段階で表現してみます。

【0:無自覚】

私は病気ではない。私は人より理想が高いだけ。 私より痩せている人がたくさんいるんだから、もっと痩せなければ。

この時点では、すでに過食嘔吐がはじまっています。ただし、自分では「過酷なダイエットをしているだけ」だと思っています。心の中では「ダイエットは明日から〜」と言ってスイーツを食べている人を馬鹿にしています。「私、万年ダイエッターなんだよね〜」と宣言しているのに揚げ物を食べている人を見て、自分に甘い人だと軽蔑しています。私は違う。私は理想の体型になるために努力ができる人間である!と、周りの人より頑張っている自分に酔っている時期でもあります。

【1:気付く】

もしかしたら異常かもしれないけど、別に気にしない。健康診断では特に問題ない。だんだん痩せてきたから、今の生活を続けたらもっと理想の体型になると思う。

過食嘔吐していることを正当化しています。体重は減ってきている。体も細くなってきている。自分に厳しい性格上、より軽く、より細くなるために、ちょっと辛くても苦しくても頑張っています。頑張っている自分が好き。頑張っていない自分は認めない。頑張っているから継続しよう!負のスパイラルに足を踏み入れた状態です。過食嘔吐していることを誰にも言っていないので、「◯◯ちゃんは、たくさん食べるのに痩せてていいね〜」と言われることが快感になっています。

【2:認知】

異常な食生活だと思う。でも痩せたい。太りたくない。 吐く行為には罪悪感があるけど、痩せるためには必要なことだから仕方がない。 誰にも迷惑をかけていないから、大した問題ではない。

この段階では、過食嘔吐用の食材を買って、多くの時間を費やしています。お金も時間も使って過食嘔吐していることを「ただのダイエットではない」と分かってきました。しかしながら、痩せたい・太りたくない意識が、より自分の中で大きくなっているので拒食と過食嘔吐を繰り返しています。自分に厳しい性格なので、全ては自己責任。誰にも知られていないから大丈夫。「もう少し痩せたらやめよう」くらいの気持ちです。また「いかにスマートに吐くか?」ということにフォーカスしています。

【3:願望】

変わりたいと思ったらすぐに変わることができる、と思っている。でも食べたら太るから、摂食障害行動が止められない。

過食嘔吐の費用がかかり過ぎていることに悩んでいます。だけど理想体型までは頑張ろう!と心に誓っているので継続しています。「全く食べなければ、お金も減らない。体重は減る。そっちの方がいいのでは?」と思っているのですが、食べると止まらなくなって、食べたことをリセットしたい衝動に駆られます。全く食べないか、食べても全て吐くか、選択肢が極端になっています。そんな白黒思考でしか考えられない自分に気が付いていません。

【4:葛藤】

普通に食べたいけど、太るの怖い。 過食嘔吐したくないけど、何からすればいいのか分からない。

お金も時間も過食嘔吐に振り回されていることに罪悪感があります。普通の食生活をしたい!と思っているのですが、なぜか過食嘔吐がやめられない。そんな自分が愚か者のように感じて、必要以上に自分を責めています。起きている時間は、常に食べ物のことが頭から離れません。本を読んだり、ネットで検索したり、解決法を必死に探しています。しかしながら、どんなことを試してみても、どんなに勉強をしても、最終的には過食嘔吐してしまいます。

【5:挫折】

もう過食しない!と決めたのに、衝動を止めることができなかった。変わろうとしたのに、変われなかった。きっと何をやっても無意味だと思う。

必死に過食嘔吐を止めようとします。焦って、もがいて、イライラして。世の中には餓死する人がいるのに、食べ物を粗末にしている罪悪感で潰されそうです。それなのに止められない。泣きながら食べて吐いての繰り返し。「こんな自分が恥ずかしい。こんな自分が許せない。私ってダメ人間なんだ。だから過食嘔吐をやめられないんだ。」と自分で自分を追い詰めています。過食嘔吐している自分は生きている意味がないという気がして、心が折れている状態です。

【6:制限】

やめられた行動はあったけど、完全に無くすのは無理だと思う。 適量が分からない。低カロリーを選ぶ、スイーツを我慢する、過剰に運動をする。

もともと努力家なので、気合と根性だけで過食嘔吐をしなかった日が出てきます。ですが、完全コントロールできるほど強くありません。良くも悪くも自分に厳しい性格のため、たった1回ストップしただけでは満足できません。1回の成功より、ダメだった時のことばかりに注目してしまいます。

そして過食嘔吐しない場合、カロリーゼロ飲料、低カロリーな食材である許可食のみ吸収します。本当に食べたい物が食べられない。食べたいものすら分からない。食べ物は全てカロリーで決めている状態です。すでにカロリー計算が得意になっているので、吸収した分のカロリー消費のことで頭がいっぱいです。まだまだ食に縛られています。

【7:衝動】

摂食障害行動は減ってきたけど、ストレスなどで過食スイッチが入ることがある。ストレスやイライラで衝動的になったり、お酒を飲み過ぎると過食嘔吐しやすい。

気合と根性、さらに我慢・忍耐によって、過食嘔吐の回数が減ってきました。ただしストレスに弱く、何か嫌なことがあると過食に走ります。あらゆるストレス解消法を試していますが、なかなか見つかりません。アルコールを摂取すると気分的に楽になることもありますが、お酒に飲まれると過食スイッチが入ります。素面の時は気合と根性で自制できていたことが、酔っ払って自分を押さえ込んでいるストッパーが外れてしまいます。「お酒をやめよう!」と思うのですが、そんな簡単に止められません。極端思考のため、お酒を飲むか飲まないかの二択でしか考えられません。お酒を適度に楽しむというグレーゾーンは選択肢に含まれていないので、摂食障害以外の行動にも苦しむことがあります。

【8:忘却】

食べたいものを食べる、体型への恐怖がない、昔は大変だったな~と感じる。 何で苦しくなるまで食べていたのだろう?と思考や感情が解放される。 健康的に体重維持できることがベストだと、正常な判断ができるようになる。

ここの段階になると、人生が楽になります。カロリーでしか選べなかった頃より、食事を楽しむ感覚が芽生えます。さらに、体にとって良いものを摂取しよう!今日は体調が悪いから、胃に優しいものを食べよう!など、コントロールが可能です。食事を通して健康的な生活習慣を考えるようになり、飲み会があっても調整することができます。

むやみに痩せるだけのダイエットが自分にとって無益・有害であることが分かっています。痩せすぎの女性を見ると「私も細くなりたい!」ではなく、「あの子、大丈夫かな?」という気持ちが湧いてきます。

 

冷静に分析してみる

あなたは今、どの段階ですか?

もう何年も前から食べることが怖い…
もう吐きたくないのに、過食から抜け出せない…
食べることはできるけど、葛藤することに疲れた…
コントロールできるけど、完全には抜け出せない…

人によって克服への道のりは様々です。

私は「葛藤」と「挫折」の期間が長く、何年も迷走していました。 なかなか次のステップに進めず、そのことで無気力な時代もありました。過去を振り返って思うことは、回復途中での葛藤・挫折・制限・衝動は当たり前なのです。 むしろ、そこを乗り越えなければ回復することはありません。

今が苦しい。
今が一番辛い。
今、悩んでいる。

ついつい「今」のことばかり気になってしまうと思います。

ちょっと冷静になって「今まで」どんな段階にいたかを見つめてください。そして「今」はどの段階にいるのか知ってください。そうすれば次のステップが見えてくるので、怖がることはありません。数年間、同じところで停滞しているかもしれません。どうか進めない自分を責めるのではなく、次のステップへの希望を抱いてください。

諦めないことが大切です!

摂食障害でない人でも、お酒を飲み過ぎて後悔したり、食べ過ぎて体重が増加したり、健康診断で注意を受けるレベルの人は数多くいます。SNSで理想的な食事を投稿している人は多いですが、完璧な食生活を実行している人のほうが少ないのです。

はじめから完璧を求めるのではなく、まずは摂食障害と今の自分に向き合ってください。

多くの方が挫折を経験していると思います。そこで諦めてしまう。だけど、心の底では摂食障害とお別れしたい。でも何をやっても終わりにできない。このような葛藤も経験済みだと思われます。ひとりでは、どうしたらいいのか分からない。このまま一生この生活だったらどうしよう…と不安でいっぱいですよね。でも諦めてはいけません。たとえ挫折しても、何とかして乗り越えれば次の段階に進むことができます。ひとりでは乗り越え方を発見するまで時間がかかるだけなのです。諦めず模索していれば必ず道は開けます。