
脱!摂食障害カウンセラーの三上さくらです。
摂食障害歴15年。「普通に食べる」ことが分からなくなって、ずっとずっと闇の中を彷徨っていました。
そもそも「普通」って何?
どうして私は「普通」に食べられないの?
食べることから逃げたくて、でも逃げられなくて。
こんな私なんて幸せになんかなれない…
そんなふうに感じている方へ。
私が考えている「脱!摂食障害」のビジョンをお話します。そして、普通に食べる幸せを手に入れられますように。どうか最後まで読んでみてください。
はじめに
摂食障害は「食」に支配された生活です。
「衣食住」の基本は、人が生活していく上で必要な、衣服、食事、居住であり、「人」が中心であるべきことだと思います。自分が幸せになるため、存在しているはずなのに、いつの間にか振り回されている状態。
あなたは、どのくらいの時間そのように過ごしていますでしょうか。
普通に食べるとは
普通に食べたい。
これは私が摂食障害の頃、常に思っていたことです。
普通になりたい。
どうして私だけが変な食生活なんだろう。どうして過食ばかりするのだろう。なぜ「食べるか食べないか」が重要な問題として私を困らせるのだろう。
朝起きた瞬間から「食べる」ことばかりが頭をよぎる。食べたいのに食べない時間が長過ぎる。葛藤ばかりして、他にやりたいこともなく、「食べるか食べないか」ばかり考えてしまう。
普通の食生活を送りたい。
それなのに、もう普通がわからない。
そんな日々を送っていました。
「普通とは◯◯である」
当時の私は「普通」とは、他の人と同じ量。
・コンビニのおにぎり2個まで
・食パンは6枚切りで1枚だけ
・ラーメン一杯(スープは残す)
・定食屋の一人前
・マクドナルドのバリューセット
・カフェのランチプレート
だけど。
男性も同じ量を食べているから、女である自分は全部食べてはいけない。残さなければオーバーしてしまう。
それが恐ろしくて、外食で「完食」すると過食スイッチが入っていました。
今になって思えば、
朝ごはんは何を食べたか?
その日の行動はどうだったか?
たくさん歩いたか?動いたか?
机に座っていたままか?
昨日の食事はヘビーだったか?
生理前か?生理後か?
便秘か?うんちは出たか?
飲み物はどうだったか?
体調は万全だったか?
睡眠は十分だったか?
そういうこともトータルで食事量が決まっているので、たまたま一人前の定食を残す大きな男性がいても不思議ではないはず。
それなのに、自分よりも遥かに長身な男性が残しているのを見て、しっかり食べてしまった自分が恐ろしくて仕方ありませんでした。
「普通」とは、自分にとっての「適量」である。
摂食障害の頃は、その「適量」を掴むまでイライラしていました。
しかしながら、
みんな適量は違う。自分の適量も日々変わる。
そこに気が付いてほしいと思います。
また、自分の身体が必要だと感じる「量」を知ってほしいです。それを掴むためにできることは、自分の身体の声を聴くこと。これは練習あるのみです!
あなたの身体のことは、あなたしか分かりませんので。
幸せとは
私は幸せになってはいけない。
摂食障害になる前から、ずっと感じていたことです。摂食障害になってからは、ますます感じていました。
こんな私が幸せになってはいけない。幸せになれるはずがない。だって私は、可愛くなしい、細くないし、誰からも愛されていないし、食べることすら満足にできないダメ人間なのだから。
この思考は、私が「悲劇のヒロイン」思考に気づく前のこと。
実を言うと、「摂食障害って最強の悲劇のヒロイン」ということを知って、怒り狂いました(笑)
私のクライアントさんに「悲劇のヒロイン」のお話をすると、連絡が途切れる方がいらっしゃるので、きっと怒ってしまったのだろうな…と凹むことも多々あります。
しかしながら、この思考を理解すると、とんでもないスピードで摂食障害が改善するのです。
私はこんなに可哀想なんです。
こんなに努力しているのに治りません。
もう一生ハッピーエンドにはなれないのです。
そんなことばかり思っているとしたら、あなたも悲劇のヒロイン気取りかもしれません。
「可愛そうだね〜」
「辛いよね、苦しいよね。」
「大丈夫?心配だよ。」
って、言われたいだけかもしれません。
摂食障害って、他人から優しい言葉をかけてもらうために好都合なのです。
だから、両親や知り合い、学校や職場で
もっと優しくしてほしい
もっと構ってほしい
もっと注目してほしい
という本音(無意識レベル)で思っていることが多々あります。もしそのような思考があるとしたら、摂食障害から抜け出すことは難しいと思われます。
そして、幸せになってしまうと、誰からも優しくされたり、構ってもらったり、注目してもらえなくなる!と勘違いしているのです。
「幸せとは◯◯である」
あなたの幸せのイメージはなんですか?
摂食障害の頃の私のイメージは、
・普通に食べられる
・一人前で満足できる
・食べるけど痩せられる
・食べれば食べるほど痩せる薬がある
・毎日1グラムずつ体重が減っていく
・食べないで過ごすことができる
そんなことを考えていました。
でも、これって「食」に関することだけですよね。
人間としての幸せって、
・好きな人ができる
・結婚をする
・子供を産む、育てる
・たくさんお金を稼ぐ
・趣味を仕事にする
・天職と巡り合う
・頻繁に海外旅行に行く
・好きなことだけやる生活
・マイホーム購入
・海外移住
・不労所得で生活できる
などなど、人によって様々だと思います。いろんな「幸せのカタチ」があるのに、当時の私は想像すらできなかったのです。食に関することが最優先事項!食以外のことは正直どうでも良かったのです。
今、摂食障害で絶望的な日々を送っている方へ。
「幸せとは◯◯である」
どうぞ言語化してみてください。自分が本当に幸せになりたいかどうか?自分の考える幸せが、実は摂食障害とか関係なく、叶えられるかもしれません。
手に入れるとは
私の中では、自分の手でしっかりと掴み取るイメージです。
手に入れるために、手段を選ばない!とは言いませんが、どんなことがあっても必ず手に入れる。それを手に入れるため、ある程度の犠牲は仕方がない。
さらに、他人は関係ない。
摂食障害になる方は、例外なく「誰か」と比較して、「誰か」に認めてもらいたい願望があります。
この「誰か」とは、誰のことでしょうか?
「手に入れるとは◯◯である」
手に入れることは、自分次第である。
他人は関係ない。
親は関係ない。
誰も関係ない。
「あの人のせいで」
「母親に愛されなかったせいで」
「アル中の父親のせいで」
「暴力を振るう親のせいで」
「優秀な兄弟のせいで」
「クラスメイトのあいつのせいで」
「ムカつく学校の先生のせいで」
「周りにいる大人のせいで」
「職場の上司のせいで」
「彼氏のせいで」
「主人のせいで」
「自分の子供のせいで」
誰かのせいにしていることはありませんか?
今までの自分の選択が、今の現実を創り出しています。誰かのせいではなく、全ては自分次第なのです。
言いなりにならないこともできたはず。
我慢しないで言葉に出しても良かったはず。
ひとりで頑張らないで、誰かに相談もできたはず。
自分の本音に蓋をしないで、さらけ出しても良かったはず。
相手を信頼して報告することもできたはず。
誰かにせいにせず、問題解決方法を考えることも選べたはず。
こんなに苦しい…と嘆く前に、手に打つこともできたはず。
付き合う人、一緒にいる人を選んだのは自分の選択。
めんどくさい人間関係を切ることもあったはず。
全ては自分次第。
ということは、
「手に入れる」ということも自分の選択なんです。
まとめ
普通に食べる幸せを手に入れる
自分の身体の声を聞いて、自分にとっての適量を。
身体が必要だと感じるものを。本当に食べたいと思うものを探し続ける。
たまに「普通が分かりません」という方がいらっしゃるのですが…この思考を紐解くと「分かりません=分かりたくない=思考と向き合いたくない」という状態。
今まで自分の思考を隠して生きていたので、本音を見るのが怖いのだと思います。
無理は禁物です。
分からない時は、分からない!
また今度、考えてみよう!
くらい気楽に考えてください。
本当に治したい!と潜在意識が思っていれば、ちゃんと考えられる日が来ます。
そして、適量が分かるまでは試行錯誤の日々。
今、一瞬でも嫌だな〜と思った方へ(笑)
今までの葛藤の日々よりは健全で、有意義な日々ですよ。
過食を我慢してイライラするのとは別件ですので〜
次に、自分が心から幸せになる!と信じて。幸せになる!と決めてください。
そして、選択する。
自分が幸せになるための選択です。
摂食障害は不治の病ではありません。
あなたの覚悟と選択で日常が分かります。
普通に食べる幸せを手に入れてください!!